今日は趣を変えちゃうぞー

4月が始まり、最初の最初の土曜日。
我が家の食卓には朝からいなり寿司が用意されていた。
1日のスタートとしてはこの上なく最高で幸せな気分だ。

母の作るお世辞にも上品とは言えない味の酢飯が、私は大好きだ。
定期的に母の酢飯が恋しくなる私は、数ヶ月に一度、母にいなり寿司をリクエストするのだ。
いなり寿司に必要な諸々を準備し、数日前に内諾を取り、いよいよ食べたくなった前日にリクエストをする。すると、翌日朝にはいなり寿司が食卓に準備されるシステムは、我が家の自慢のシステムだ。

いなり寿司が食卓に準備された朝には、決まってこう伝えるようにしている。
「うわぁ、いなり寿司だ。嬉しい。ありがとう。」と。
その時で言葉の種類は違っても、必ず喜びと感謝の言葉を伝えるのがルールだ。

食事が当たり前に準備されているありがたさ
幼い頃は食事が準備されていることは当たり前で、意識して感謝をする事などなかった。
両親は共働きで、朝食の時には既に母親がいない事も多かったが、朝食は必ず準備されていた。
両親のお弁当の延長ではあるが、そこには揚げ物や焼き魚が並べられていた。
いつの頃だろう、食事が準備されているありがたみを知ったのは。

一人暮らしと自分への料理

高校を卒業し一人暮らしを始めた頃、もともと料理が苦手ではなかった私は、毎日の食事をそれなりに作って過ごしていた。
その時には一人になって知る親のありがたみを深く感じたが、今と同じような感謝はなかったように思える。
それほど苦労と思わず料理ができた私には、毎日、そして人のために料理を作ることの大切さと大変さは理解できていなかった。
むしろ自分で自由に料理をしていることを勘違いし、母の料理を軽んじてすら居たかもしれない。

毎日の仕事と食事

仕事をするようになった時はどうだったろうか。
仕事をし始めた頃は、ほぼ毎日外食をしていた記憶がある。
同僚に誘われては食事に行き、上司に誘われてはご馳走になり。そんな毎日だった。
そもそも料理をする事すら少なくなり、毎月増え靴箱から溢れ出す靴の置き場に、ガスコンロを改造しようと本気で考えたくらいだ。
仕事と食事の両立なんてその気があればいつでもできる。
そう思っていたかも知れない。

父への感謝と母への感謝


何度か両親との同居と一人暮らしを繰り返した後、ある事がきっかけで再び両親と同居する事となった。
その頃からだろうから、両親を親としてではなく、生活する人として見る事が出来るようになってきたのは。
自分が社会人としてそれなりの年数や経験をしたことも影響しているのだろう。

昔は朝早く起きている母に対して、眠たいだろうに、もう少し寝ていたら良いのに、なんて事は微塵も感じていなかったように思える。
母は早く起きている存在であり、そこには眠気など存在しない。
極端にいうとそれくらいの存在として考えていたかも知れない。

同居してから数年後、父の最後を看取った。
詳しくは書かないが、このことで両親もいつか自分の前から居なくなるという当たり前のことを知った。

仕事柄そのあたりについて普段から考えてはいた。
“どれほど精一杯やっても、それでも「ああしておけば、よかった」という思いが湧いてくる”というのも知っていた。
ただ、今思うとこの出来事を通じて本当にこの言葉を理解したのだと思う。

その頃からだろう、毎朝食事が用意されていることが、当たり前ではないと気付き始めたのは。もっと早く気づくべきなのかも知れない、気付いているつもりではいたのかも知れない。もしかしたらまだ十分気付いていないかも知れない。

ただ、毎日母と過ごしながら、私は今も母に感謝することを学び続けている。
母も私と変わりなく朝は辛く眠たい。
寒い日はもう少し布団の中で寝ていたいし、食事を作るのが面倒な時もある。
時にはバレない程度に手を抜きたくなる事もある。

まだまだちょっとした思い違いや折り合いのつきにくい出来事で、言い合いになる事は沢山ある。

ただ自分の中に決まり事を作り、意識が意識じゃなくなるくらい当たり前に感謝を伝えられるようにしている。

その一つ、いなり寿司ステム。私のオススメです。

tot(後ろの音楽:スーパーノア)

LAUKIKA

ふだんぎのときも よそいきのときも 寄り添うラウキカのお菓子 北海道の東の町 なかしべつ よりお届けします